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大きくなっているアメリカ人

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数年前から言われてはいたが、アメリカ人はサイズアップしている。身体が大きくなっている。とくに中西部ではそれが顕著に見える。言い過ぎかもしれないが40歳以上の人々は、大きさの違いこそあれほとんど太っているように見える。
肥満が社会問題になっている昨今、健康関連の関係機関では、注意を喚起したり、肥満防止教育も行って、それなりの策を講じているのだが、マンハッタンのビジネスマンやLAのフィットネスに熱心な人々やボウルダ―、ポートランド、シアトルのスポーツ好きを除いては、肥満傾向にある。

アメリカ人の生活スタイルを見ると太って当然の生活パターンがそこにはある。
まずは生活における活動量、運動量が少ない。仕事、買い物、その他、すべての移動は車を使う。会社、事業所でも移動距離が少ない。歩かないし、しかも階段が少ない。生活の中での消費カロリーが少ない。(日本の田舎でもその傾向があるが)
アメリカ人は、生活を楽に、エンジョイする工夫が上手いし、そのために様々なものを
産み出してきた。家庭用品や日用品などでも様々な便利用品がスーパーやホームセンターに並んでいる。時にはこんなもの必要あるのかな、という珍品もあるが。できるだけ肉体的な労力を減らし、体を動かさないで仕事や家事を行う事にまい進してきた。とはいえ日本人よりはるかにスポーツ好きで、見る事も自ら楽しむ事も好きであるが。

もうひとつ彼らが太る理由は、その食生活である。とにかくよく食べる。摂取するカロリー量がかなり多い。日本では、アメリカ人と言うと、分厚いステーキやハンバーガーを「がっつり」食べるというイメージがあるが、アメリカ人は肉だけをそれほど頻繁に食べているわけではない。その多量のカロリー摂取の原因は、炭水化物、糖分、脂肪の多量な摂取にあるのではないかと思う。
たとえばディナー。まずは前菜に多少のお肉とサラダ等。サラダにはたっぷりのドレッシング。続いてパンを食べて、その後にメインディッシュ。肉や魚に必ずポテトやライスの付け合せ。それにデザートがつきものだ。レストランではデザートを頼まなかったり、少なめにしておくことはよくあるが、家庭ではそうはいかない。招かれた場合などでは断ることは失礼にあたる(ような気になる)。それというのも家庭ではデザートこそおもてなしのなかで一番力が入るメニューだからだ。アメリカのディナーをまともにすべて平らげるのは、大食い大会にでも出たようで、最後は戦いの様相を呈する。(とくに、貧乏性の自分は残すのはいけない事だとしみついているので)
ひととおりディナーの内容をみても明らかに炭水化物、糖分、脂質が多い。
おそらくディナーだけで日本人の男性の1日の理想の摂取量2,300~3,100kカロリーを超えてしまうか、大半のカロリーを摂取してしまうのではないかと思う。

また、アメリカ人の清涼飲料水を飲む量は半端ではない。日本のラージサイズがスモールサイズである。かつて中西部の長距離トラックの運転手さんたちが集まるガススタンド兼コンビニで見た清涼飲料水の入れ物は、誇張でもなんでもなくバケツサイズの大きさだった。まさに一食分のカロリーを含んでいそうな量である。

食生活を見直す動きはかなり前から行われている。食事内容や栄養素のとり方など、また多くのダイエット食品が紹介されている。都会のオシャレなレストランやオーガニックカフェでは、量を少なくしたり油の量や栄養バランスを考慮したり、野菜を多く取り入れたメニューやベジタリアンメニューを提案している。しかし、こってりとした味が独特なアメリカ料理に慣れているので多くの人が常にそういったメニューを好むとは思えない。
(実際アメリカの、とくに地元で人気のハンバーガーショップのバ―ガ―は美味いが。)

摂取エネルギーから日常生活の活動で消費するエネルギー引いた余剰エネルギーが、異常に多いのだ。太るのは当たり前である。それを解決するのは、結局身体を動かす事、運動するしかないのではないか。

アメリカのジムの会員数は人口の10%(約3,000万人)といわれており、日本の7~10倍くらいだと推測されるが、アメリカ人の食生活が画期的にがらりと変わらないかぎりアメリカのフィットネス、エクササイズ、ダイエットマーケットはまだまだ健在である。
これだけジム、フィットネスクラブに大きなマーケットがあり、楽に行う事に努力や工夫を惜しまないアメリカ人のメンタリィティーを考えれば、新しいフィットネスエクササイが常にアメリカで生まれ、発信されるのもうなずける。
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街づくり、再生の難しさ。

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地方の中都市へ行くと、JRの駅周辺や、地方鉄道の駅周辺がさびれたようなアーケードー街になっているケースがままある。おおむね駅に乗降客が多かった頃、栄えた商店街だったという場合が多い。現在も町の行政関係の機関や施設が近くにあってもそんなに栄えているというイメージはない。
お決まりのように、車の普及によって駅の利用者が減った。若い層が都会へ転出し、若い来街者が減った。近隣に大手量販店の出店があったり、ショッピングモールができた、などなど、同じ様な理由で商店街が衰退したと地元の人は嘆く。

商店街やショッピングモールというのは、いったん店が退店し歯抜けになりそのままになっていると、それがどんどん波及し、歯が抜けていくように、店がなくなっていく。大都市圏の来街者数がある程度に達しているエリアなら、新陳代謝も活発で店の入れ代わりもあるが、そうでない地域は、そのまま放置すればシャッター商店街まっしぐらである。
良くて、コンビ二エンスストアやテイクアウトの外食チェーン、居酒屋チェーン、カラオケ屋、ゲームセンターが穴埋めをする。しかし、チェーン店は売上がすべてであり、町に愛着があってビジネス展開するわけがないので、すたれはじめた街には興味がない。チェーン店にも見放された町は、ただみじめである。ほどなく廃墟と化す。

シャッター通り商店街には、共通点があるように見える。「昔は地域一番の商店街だった。」とか「夕方や土日は買い物客であふれていたものだ。」というようなかつて流行った、繁栄の成功体験のある町が多い。
確かに、電車から車へのモータリゼーションの変化、産業の転換、変化による大規模事業所の移転など、絶対的な来街者数の減少が見られる地域もある。

ではそのすたれはじめた状況に商店街の人々が手をこまねいて、枯れ木を見守っていただけだったのか。いや彼らとてそれなりの手、振興策を打ってきた。イベントや商店街セールやお祭り、芸能人を呼んだり、コンサートを開いたり。しかし結局実にならず、シャッターはじょじょに閉じて開かなくなった。何が原因なのか。原因は、いつも近郊のショッピングモールや大型量販店だと決めつける。

よくよく見ていると、1)成功体験が染みついている 2)店を閉めても食べていける 3)イベントを打っても当事者意識がない 4)町づくりの理想は語っても、自分の店は変える気がない 5)アイデアは欲しがるが実行する気がない 6)リーダーが必要と言うが、実行段階でリーダーに反発する などなど、商店街の方々のネガティブな面しか見えてこない。自分たちは頑張っているのに仕方がない、自分たちの責任じゃない、というような被害者意識が根底にある。

商店街は成長するし歳もとる。努力して格好よく年齢を重ねればいつまでも人気者だ。しかしそのままであれば、醜く、老いさらばえていく。自分たちがいくら頑張っても、お客様、来訪して頂いた方々に満足していただけなければ戻って来てはくれない。それに満足度や満足する内容は時とともに変化する。
成功体験のあった商店街は、知らず知らずのうちに本当に大切なお客様を満足させるすべを忘れてしまったのではないか。

ロスアンジェルス郊外、サンタモニカ市の南側にヴェニス地区にアボット・キニ―通りがある。ここ数年で急にトレンディ―エリアに生まれ変わった地域だ。お昼は、小さな子供連れのオシャレなヤングマダムが連れ立って歩いている。夜は流行りのオーガニックレストランやカフェが大賑わいだ。ブティックやアートギャラリー、アクセサリーショップやファニチャーショップが並ぶ。ほとんどすべて古い住宅や建物を改造した店舗だ。
今でこそLAのオシャレな街として観光客も多いが、ほんの10年前まではひどい街だった。20年くらい前は、夜は決して近づきたくない街だった。
古くはベニス地区の住宅街で、比較的ビーチに近く明るい雰囲気の街だった。それが次第に、いわゆる町の不良がたむろするようになり、ギャングの諍いが起きるようなエリアになった。当然、まともな人たちは街を去り、ビジネスなどできる環境ではなくなった。その後町の再生計画もあり、次第にショップが生まれてきた。
再生のはじめは、小さなブティックやアンティーク家具屋やアート系のショップの出店だった。けっしてメジャーな店が出たわけではなく、個人の小さなオシャレなお店がはじめだった。その後少しづつお店が出店し、ある時点から街全体のオシャレ度がアップしてきた。オシャレ度は、お店と来訪する人々によって作られていく。

街は人間そのものだ。少しの行動やその積み重ねで変わってくる。逆に放っておけば退廃につながる。
日本の地方でも、再生に成功した町は存在する。いずれの街も当事者意識を持った人々が行動を起こし、少しの行動から小さな事を始めて、素晴らしい街に仕上げた。彼らはそれがゴールだとは思っていない。

残念ながら我が町は、それに気づいてもいない。こころある人々は「退廃の極致に達したほうがいい。そうしないと本当に再生しない。」と諦め顔で話す。
当事者達は、「どうせ退廃の極致に達する頃までは自分たちはいない」とたかをくくっているのだろうか?P3210175.jpg 生まれ変わって、LA有数のオシャレなエリアになったアボット・キニ―通り。
 

迫力を感じた80年代ランナー像

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びわ湖毎日マラソンが終わって、いよいよロンドンオリンピック男子マラソン代表が決まる。今回も、3人すんなりと決まりそうもない。東京マラソンで快走した藤原選手や、びわ湖マラソンで結果を出した山本選手は、代表入りが確実視されているが、第3の男が微妙だ。
堀端、川内、中本、前田選手が候補だが、難しい選択だ。個人的には、川内選手がダークホースとしていいレースをするのではないかと思う。

しかし、厳しいようだが最近の日本のトップランナーには、昔の選手のような迫力がないし、存在感がない。
昔の事を例に挙げたり、昔のアスリートを引き合いに出すのは年配者の常だが、80年代に君臨したマラソンキング瀬古利彦選手や闘将中山竹通選手などは、今から思えば圧倒的な迫力があった。
瀬古選手は、トップグループにピッタリ位置し、精密機械のように動じないふてぶてしい走りをみせていた。終盤までトップにぴたりとつけ、最後は中距離選手として培ったスピードと剃刀のような切れ味あるラストスパートでライバルを振り切るという常勝パターンを誇っていた。
一方、中山選手は、俺がチャンピオンだといわんばかりに、最初からぐいぐいひっぱり中盤から既にライバルを寄せ付けない王者の存在感があった。とくに1987年の福岡国際マラソンの走りは圧巻だった。最初から最後までライバルの背中を見ることなく、終盤まで世界最高記録を更新する走りを見せ、堂々優勝を飾った。
今だったら、ペースメーカーを逆に引っ張ってしまうかもしれない程の迫力のある走りを見せてくれた。

この二人の不世出のランナーは、対照的なイメージを醸し出していた。
エリートランナーにして、マラソン界の帝王的存在の瀬古と、非エリートの一匹オオカミ、闘将的な中山。これが見る者たちの興奮をあおったものだった。同時期には他にも宗兄弟や谷口などトップ選手がいたが、瀬古選手や中山選手を含め当時の選手達は、個々人のパワーや存在感に並々ならぬものがあった。

これらの選手は、単に昔の、その当時に速かった選手ではない。
瀬古選手や中山選手などは、サブ10(2時間10分以内)を5回も達成しており、自己最高もそれぞれ2時間8分27秒、2時間8分18秒と今の代表選手と比べても決して引けを取らない記録を残している。それだけ迫力のあるランナーだったといえよう。
(ただし、両選手ともオリンピックのメダルには縁がなかった。両選手ともピーク時には誰もが認める世界最強選手だったのに、運がなかったと言わざるをえない。)

悲しい「絆」という言葉

あれだけ言われてきた「絆」という言葉がそらぞらしく感じられる。
未曾有の天災から1年たとうとしているのに遅々としてすすまない被災地の復旧。
その大きな障害が,がれきの処理だという。
その瓦礫は膨大で、被災地ではとうてい処分できないので、被災地以外での処理がすぐにでも必要である。
しかし、その瓦礫の受け入れが、多くの自治体で、住民の反対でできないでいる。

人間は、得てして動物的な側面を見せる。多種や、他のものたちはどうであれ、自分だけは自分の家族だけは、危機をのがれていたい。そうやって動物は自然淘汰のなかを生きてきた。それは、生きるものの業である。
しかし、人間はそういった動物的な生き方から成長し、共存して、時には助けあって生きていくすべを、経験として学び実践してきた。子供も本来「自分だけは優位でいたい」というような行動パターンから、成長するごとに後天的に社会性と共存性を身に着けていくという。
それが人間と動物の大きな違いである。瓦礫受け入れ反対のメンタリティーを見ていると、人間が時に見せる動物性、動物的残虐性を見せつけられているようで心が痛む。

しかし、これは動物が見せる危機回避の行動とは明らかに違う。どう考えても、宮城、岩手の瓦礫に基準以上の放射線が含まれていると考えられない。福島原発とどれだけ離れているのか。東京のほうが近いくらいだ。ましてや、原発事故が発生して以来の岩手の放射線量は、西日本と変わらないくらいだ。

この人間性、合理性のかけらもない瓦礫受け入れ反対の心理や行動は、無知と動物的残虐性と自己中心主義にかられてのもので、同じ日本人として人間として恥ずかしいし、悲しい。
震災発生直後から数か月は、同情、自己犠牲を含めて日本人の心の強さや優しさが強調されて、「絆」というワードが浮かび上がってきた。それが今どこへ行ってしまったのだろうか。
偶然に大災害に遭遇した人々は、かわいそうな人々、そのまま不幸でいろ、偶然にも遭遇しなかった人々は安穏として暮らす、幸せに暮らしているのだから余計な事をやらせないで、ということだろうか。
日本の絆、優しさ、強さはどこへ行ってしまったのだろうか。1年を経たずに、飛散してしまったのだろうか。

トップランナーの自立

今年の東京マラソンは、藤原新選手の快走で幕を閉じた。皇帝、ゲブラセラシエにはかつてのような凄みのある走りはなかった。残念ながら市民ランナーの星、川内選手にはいつもの粘りの走りは見られなかったが、きっと彼は復活してくるだろう。

最近の長距離エリートランナーの、キャリアコースは、おおむね駅伝の強豪高校を出て、箱根駅伝出場の大学駅伝部もしくは長距離チームを経て、実業団チームに所属というパターンだ。しかし、藤原、川内両選手のように実業団チームや何処にも所属しない選手が活躍するのは皮肉であるが、一つの傾向かもしれない。

よく言われるのは、実業団チームにあっては、数々の駅伝レース出場が義務づけられ、マラソンだけのトレーニングや調整ができないということだ。
日本では、駅伝が盛んに行われる。それにより、駅伝がスポーツとして進化している。そのため、考えられるのは駅伝が同じ長距離走スポーツとして、マラソンとは違った性格を持ってきているのではないかということ。
駅伝は、距離にしてはだいたいハーフマラソン以下。長距離ランナーからすれば一気に走り切れる距離でもある。そのためにマラソンとは違ったトレーニング法になる。だから実業団の選手は、マラソン一本に注力できないという推測である。たしかに、駅伝がマラソンとは似て非なるスポーツになっていくという可能性はある。サッカーとフットサルがそうであるように。
しかし、それでは日本の大学駅伝チームや実業団チームを経て、世界に羽立って行ったケニアの選手はどうだったのか。彼らは、日本人選手と同じ練習をこなし経験を積み、何人かの選手は世界一になった。これを説明することはできない。

彼らにあって、日本の実業団選手に欠けているもの。それは自分で戦い抜くという気持ちではないだろうか。彼らは、チームに所属していても、やはり個人として強くなりたいという意識が強いのだろう。その点は、藤原選手、川内選手に共通するマインドかもしれない。
厳しい言い方だが、そういったマインドが日本の実業団選手に欠けているのではないか。藤原選手や川内選手には、瀬戸際感がある。このレースで勝てなければ、結果を残さなければチャンスはない。その瀬戸際感、勝負へのこだわりが実業団所属の選手にあるのだろうか。

個人として自立し、レベルアップを図る。そういったトレーニング環境やマインドを選手に培っていかなければ、実業団チームは単なるぬるま湯集団と化して、世界基準の選手は育たない。企業が、マラソン、駅伝ブームに便乗し、ランニングチームをつくりプロモーションに利用しているだけとしたら。そうでないことを望む。
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