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日の丸、スポーツは平和の象徴

今年はオリンピックイヤー。これから続々と、日の丸を胸にする各競技の日本代表選手が決まってくる。スポーツ選手にとって日の丸を胸に世界で戦うことは、特別だという。それは、プロ選手がメインのサッカーでも、野球でも、テニスでも同じだ。他の国のトップアスリートも同様だ。その国のナショナルフラッグを胸に戦うことは、誇りであり、特別な思いを抱かせるのだ。

世界NO1に連続して輝いた、ベースボールクラッシック日本代表チームにあって、あのイチロー選手が、あれだけ燃えて戦ったことは、日の丸を胸に戦う事が、それだけ特別であることを、身を以て示してくれた。

海外で活躍したり、海外で生活する人こそ、愛国者になる。それは、外から日本を見つめなおし、日本人であることに改めて誇りに思うようになるからだ。イチロー選手も異国で、様々な人種的バックグラウンドを持った選手とともに、そういった環境で、切磋琢磨をしてきたからこそ自分のルーツを大事にして、頑張っているのだと思う。

残念な人々がいる。
地元新聞の記事にこんなくだりがあった。日の丸の掲揚、君が代の教育現場での強制に関してのものだった。
教師のなかには、日の丸を見ると悲惨な戦争をシーンが思い起こされ、気分が悪くなって卒倒するという人がいるという。そういった人々のルポ的な記事だった。
このルポ記事の真意は、いろいろあろう。しかし、「日の丸を見て気分が悪くなる。」という人がいる反面、そういう人がいる事に気分が悪くなる人のいるのも事実だ。

自分たちにとって日の丸、君が代は平和日本の象徴だと思っている。
平和を願って戦後67年、日の丸は、再出発する平和国家の象徴だと信じている。けっして日の丸イコール軍国主義の象徴だと思えない。

昭和20年代末生まれ。両親は昭和一桁生まれ、戦中育ち。戦争の悲惨さは両親、祖父母からは多く聞かされてきた。かつて父親は、「自分は戦争には反対だった。」とも聞かされた。
日本が軍国主義に支配され、アジア諸国に多大な迷惑をかけ、多くの犠牲者を生みだした事も知っている。南京虐殺も日本軍の侵略行為も(100%正しい史的事実かどうかは別として)知っている。また、それらはこれからも日本人が忘れることなく、反省し続ける事だと切に思っている。
しかし、だからといって、それが日の丸イコール戦前の軍国主義となるメンタリティーが理解できない。
戦前の厳しく反省すべき軍国主義も、戦後の平和主義もすべて合わせ含め、日本人の歴史と生きざまの象徴が、日の丸であり君が代である。過去を反省し、世界平和と不戦の誓いをしたその象徴が日の丸であると思う

自分は右翼でも、排他的民族主義者でもない、愛国者である。世界へでれば理解できると思うが、それぞれの人が自分の国を愛し、誇りに思っている。だからこそ、他国、他民族を理解し、尊敬しあえる。

日本では、まだ日の丸は「右翼、偏狭な民族主義者の象徴」で格好悪いイメージが染みついている。それが悲しい。他の国へ行けば、国旗は民族のシンボルで、ファッションのモチーフにもなる。オリンピックイヤーには、ナショナルフラッグをあしらったスポーツウエアが人気になる。

今年はロンドンオリンピックイヤー。日本代表のアスリートは、日の丸を胸に、自分たち日本人の思い、震災をから立ち上がろうとする人々の明日への気持ちを力にして、誇り高く戦ってくれるだろう。
胸の日の丸は軍国主義の象徴なんかでは到底なく、自分たち日本人の誇りの象徴なのだ。だからこそ、サッカーの代表戦でも,チャンピオンシップでも老若男女が、日の丸を仰ぎ見て、君が代を歌う。平和の中で、自分たちの代表が正々堂々、誇り高く戦ってくれる事を願うからだ。

日の丸、君が代を忌み嫌う人々は、そもそも純粋に今の日本と世界の平和を願っている人々でないように見える。偏狭な政治的スタンスにたっている人々にみえる。
その人々が憧れ、目指した社会主義的な社会、国家ほど、戦後67年間で紛争、戦争を繰り返し、人々の命や幸せを奪ってきた。(アメリカだけが、それを行ってきたのではない。)

スポーツでいえばそういう国家こそ、スポーツを国威発揚に利用し、アスリートを戦う兵士、武器のように非人間的に扱ってきた。

少なくとも今の日の丸アスリートは、人間として扱われ、人間として純粋な日本人の気持ちを代表して競技を戦う。日の丸、スポーツは平和の象徴、だからこそ皆の心を熱くさせる。
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スポーツへ、女性のマインドの変化

画像 003(週末のトレイルは、女性ハイカ―が増えた)

仕事柄、アウトドアやスポーツの現場に足を運ぶ機会が多い。あらためて気付くのは、女性のアウトドア活動やスポーツへの参加者が増えたことだ。
ランニングやトレッキングに代表されるようにアウトドア活動へ多くの女性が参加するようになった。
従来は、夫や友人や、グループと一緒に参加するというような能動的でないパターンが多かったように思うが、いまは女性個人で、もしくは女性グループで積極的に参加するケースが増えているようだ。

週末のトレイルなどは、女性ハイカ―が数年前と比べるとはるかに多くなった。山ガールといわれる比較的若い層のみならず女性中高年ハイカ―も増えている。こういったアウトドア積極派の女性は、30代からアラフォー世代、50代までが中心だがまれに20代後半の女性もいる。

自分がスポーツ業界に身を置くようになって30数年、振り返ってみれば、スポーツやフィットネスのブームは、女性中心もしくは女性が参加することでブームになってきた。
ジョギングからはじまり、テニス、スキー、ジャズダンス、エアロビクス、ゴルフ、サーフィン、キャンプ、ヨガ、ランニング‥等、女性の参加者がマーケットの拡大と活性化に寄与してきた。

だだこれらはブームで、一過性と思われてきた。「女性はブームにのって参加するけれど長続きしない、またブームで参加するだけなので、男性と違って本物のギアやウエアなどを購入しない」というように見なされ、スポーツ業界では女性は「信頼のできないお客様」と思われてきた。

しかし、どうも最近は違うように思う。女性のスポーツへの参加マインドが変わってきている。かつては、男性への従属的な、付随的な形で参加してきたが、いまや自分からすすんで参加する方向へ変わってきた。そして、そのスポーツにハマる女性も増えてきた。
これは、いわゆる女性の社会進出の活発化や、晩婚化、非婚化の影響もあるだろうが、それに伴うマインドの変化がある。
女性は身体を動かすことが嫌いではない。ダンスなどは大好きである。
これまで、「女性がこんなスポーツをするのはどうも」であるとか、「女性には不向き」というような社会的制約や男性視点からのプレッシャ―からか、女性が参加しにくい状況があったが、徐々にそれもなくなり、望めば出来る環境が整ってきた。
「男性に頼らなくても」であろうか。

そんな状況になってきたので、従来のように、「女性は、本物のスポーツギアは買わない。」という事はなくなってきている。確かに、ランニング(マラソン)が女性の間で流行っているといっても、男性の参加者が多いのが現実。マラソン大会でも少なくても6割は男性ランナーだ。だが本物志向の女性ウィークエンドアスリートは確実に増えている。

ここ20年で現場でのスポーツの状況は、大きく変化した。いまだ、男性中心のスポーツ業界では、まだまだ対応が遅れているところだが、今後は、女性視点のスポーツアイテムの開発が更に求められてくることは間違いない。

ジュニアスポーツ教育に思う

男子テニス、錦織選手の快進撃に胸のすく思いだ。
今日勝てば、全豪ベスト4。日本人初の快挙だ。(残念ながらベスト4ならずだった。)
錦織選手が注目を集め始めて数年になる。一時期怪我などで低迷したが、ここにきて更に飛躍した。
11月のスイスインドアで世界ランク1位のジョコビッチ選手を破り、ランキングを日本人として過去最高の26位まで昇って来た。全豪オープンでも、厳しい試合をモノにし、成長した姿を見せてくれた。

報道によると、最近は戦い方を変えているという。単純に攻めに出るのではなく、守りからしぶとく耐えて機を見て攻めに転ずる。泥臭くさくても耐えてポイントを奪うという「ウィニング アグリー」、格好悪くても
勝つという事をテーマに戦っているらしい。ここに錦織選手の成長のあとが明確に見られる。錦織選手は、今回の全豪の快進撃のみならず、今後さらに大きく羽ばたいてくれると確信する。

錦織選手に限らず、最近はジュニアから注目され、それからレベルアップし、若くしてトップクラスに登りつめるアスリートが増えてきた。特定の競技に限らず、多く競技で、その傾向がみられる。
今や、トップアスリートになるためには、小学校低学年でその競技を始め、ジュニア(ローティーン)時代にその世代のトップレベルに達し、その後は、心身の成長と歩を一にしてテクニックと戦術眼とフィットネスレベルを磨き上げ、シニアのトップレベルに達するというのが通常の道筋になってきた。

競技や地域によりいろいろなスタイルや形態があるが、子供、ジュニアからカリキュラムが組まれたプログラムでスポーツ選手を養成していくスクールやクラブが以前と比べ整ってきたことや、若い世代をコーチングできる指導者が増えてきたことがその要因だ。また、スポーツに教育的投資する親が増えたこともある。

スポーツを子供のころから親しむのは賛成だ。同世代の子供たちと、競い合い、励ましあい、人間として相互関係や営みを学ぶのは大切で有効な機会だ。
しかし、年齢が上がり競技志向が高まるにつれ、優劣、勝敗が大きなファクターとなってくる。勝つことの喜びと負ける事の悔しさ。それに伴う期待と夢と苦悩と挫折。それらを体感しながら若いアスリートは成長していく。

勝者がいれば敗者もいる。頑張っただけの喜びがあり、悲しみもある。成功と挫折、邁進や転進。これらが交錯するのがスポーツの世界だ。
それだけに、勝っても負けても、上手く行っても失敗しても、多感な子供達がそれを受け入れ、次に向かって行けるように、勝敗や優劣で全てが決まるのではなくそれが糧となるよう導いていくのが、指導者や親の大きな責務になってくる。スポーツでトップを目指すことで、テクニカルやフィジカルな面を育て上げるだけではなく、精神的にどう成長させていくかもスポーツ指導、教育に託された大きなミッションである。

トップアスリートの下には多くの普通のアスリートがいて、ヒエラルキーが形づくられている。彼らすべてが成長してこそ全体で大きく飛躍できるのである。錦織選手の下には、数倍、数十倍の若いアスリートたちがいる。ある面彼らが錦織選手を底上げしていくのである。

現在こういった子供達の育成は、まさにグラスルーツで、民間の力に任され、それにゆだねられてている。当然、各競技団体もそれなりに力を注ぎ、指導者を育て次世代に繋げる努力はしているが、まだまだ充分でないし、一競技団体では出来ない事も多い。
多くの子供達がスポーツを通して育っていくという教育的側面からしても国レベルで人材の育成や施設の充実などのソフト、ハードの面のサポートが出来ないものかと思う。

教育というとすぐに学校教育に目が向けられがちだが、子供達はこういったスポーツクラブやスクールなどでも教育され、学んでいく。国として規制を加えるとか、考え方を押しつけるのではなく、民間のパワーをさらに生みだすような新たなスポーツ教育への施策を切にのぞむ。

日本チャンピオン、福原選手

福原愛選手、把瑠都関 優勝おめでとう。
福原選手は卓球を始めて20年、把瑠都関は来日して8年、精進した結果だ。

最近は、それぞれの競技の技術レベルが上がった理由もあるが、ジュニアどころか就学前からそのスポーツを始めトップに上りつめたアスリートも多くなった。サッカー、野球、体操、スケート、スキー、卓球、などなど多くのスポーツでその傾向が強まっている。

福原選手は、その典型のようなアスリートだ。幼児のころから卓球一筋で、その姿はテレビなどでも紹介され続けてきた。卓球王国の中国での転戦を含めて日本人トップの世界ランキング入りなど世界で活躍してきたが、どういう訳か日本チャンピオンになっていなかった。国内では、注目されているだけにいい知れぬプレッシャーを感じていたのだろうか。日本一になって当たり前というような雰囲気が、足をひっぱったのか。
13年間どうしても取れなかったタイトルだけに喜びもひとしおだろう。五輪代表選手でありながら、国内タイトルがないというプレッシャーにめげず、心が折れずに競技生活を続けたタフさに「あっぱれ」と言いたい。
福原選手の優勝後のインタビューには、「愛ちゃん」ではなく、成長した大人のアスリートの姿があった。

よくあることだが、往々にしてジュニアから活躍した選手は、どうしても成長過程で精神的挫折や、大人への反抗、怪我などで競技生を離脱する、いわゆるバーンアウトしてしまうケースがある。
それは、決して悪い事でもない。成長過程で自分の可能性を他に見出す事もある。そのスポーツ、競技だけが自分自身のすべてではない。またそれを乗り越えて、さらに競技的に、人間的に飛躍することも素晴らしい事だ。

いずれにしろ、ジュニアアスリートがネキストレベルへ飛躍する、すなわちアスリートとしてさらに上のレベルへ向かう、または転身し他の分野で可能性を見出すためには、親やコーチなど大人の精神的サポートが必要だ。
自主性を重んじつつ厳しく指導する、そういったバランスよく気にかけてやるマインドが必要だ。

親やコーチの期待は、充分に理解できるが、それはプラスにもママイナスにもなる。難しい舵とりだが、そそぐ愛情には厳しさと大人へ進化過程にある可能性を秘めた個性への尊敬が求められる。

古い町並み保存に未来が

海野宿冬(薄化粧の、冬の海野宿)
地元上田市の隣に平成の大合併で生まれた、東御市という市がある。
旧東部町と北御牧村がいっしょになってできた平成生まれの市だ。その東御市に、海野宿という観光スポットがある。古い家々を保存、保全し、昔の佇まいを今に伝える美しい町並みのエリアだ。

海野宿は、北国街道の宿場町だった。北国街道は、江戸幕府によって整備された街道で、軽井沢の追分から日本海を臨む越後、直江津までつながり、善光寺街道とも呼ばれていた。
明治以降は、国道が整備され、鉄道(信越線)が敷設されて、宿場町としての役割を終えるに至った。
宿場町の旅籠は、信州で盛んだった養蚕を営む養蚕家屋に変わった。戦後は養蚕業が衰退し、古い建物だけが残った。
その昔の街道筋の町並みをなんとか残そうと、地元の有志を中心に立ちあがった。古い町並みを保存しながら、街を、地域を活性化し、未来につなげていこうという試みである。

その町づくりプロジェクトのコンセプトづくりから実施に中心的にかかわった、宮坂さんにお話を伺う機会があった。
このプロジェクトには30年あまり費やした。これからさらにこのプロジェクトを拡充、発展させるという。いまある数百メートルの保全地域をさらに北へ数百メートルを伸ばすというものだ。
国からはこういった町並み保存・再生にはそれ相当の補助金が賄われるらしいが、そのために基準にあった受入れ体制を整える必要がある。
そのためにすべき事。それは、すべての住民の賛同と意志の統一である。これが最大にして最難関の課題である。
住んでいる方々、土地を持っている方々には、それなりの考えや、生活設計がある。それを固め、街づくりをしていくことは大変な作業である。町並みを保存し保全していくためには、様々な制約があり、我慢しなければならないことが生じる。
それを納得してもらうためには、未来へのビジョンを明らかにし、すべき事をしっかり示さねばならない。すべての人が、自分の小さな利益や自由を抑え、大きな目標やビジョンに向かう決断をしなければ前にすすまないのだ。
江戸時代の殿様がその思いで断行したような、または一企業が、経営者の一存で決まるようなものではない。

未来へのビジョンを共有し、皆が決心した結果、街は素晴らしくなった。
海野宿へ足を運ぶと、緩やかな時間がながれ、ゆったりとした気分になれる。いにしえの人々の息吹が感じられる。素晴らしい町並みだ。
これは、人々の物欲や金銭欲が交錯する都会ではありえない事象である。短期的に目の前の利益だけを見ているだけではできない事である。

こういった街づくりこそ、今の日本に欠けていることだと感じる。
未来のビジョン、あるべき姿に向かって、目先にとらわれず、小さな利益に目を奪われず、決断し、実行する。それが今求められる未来への道ではないかと思う。

革新的な事、未来への道筋は、地方の小さな改革からはじまるのだろう。同じ事が今の環境問題、サステイナブルなライフスタイルづくりにもあてはまるらしい。
上田柳町(上田市内の柳町地区も北国街道の面影を残すエリアだ。)

内向きでなくアグレッシブに

スポーツシーンはラグビーの日本選手権と大相撲の初場所を残して、ウィンタースポーツ以外は、この時期少し落ち着く。

一方、ヨーロッパサッカーは、リーグ後半に入ってこれからが熾烈になる。復帰した長友以外に、日本選手活躍の情報が入ってこないのが少しさみしい。
現在ヨーロッパのプロサッカーリーグ(各国の1部、2部)には約40名の日本人選手が所属しているが、常にスタメンで活躍している選手は多くはない。とりわけ、リーグ上位チームになれば、終盤にかけて熾烈な戦いが待っているだけに有望株というだけではなかなか使ってもらえない。実績のある選手や顔が売れている選手にどうしてもチャンスが多くなる。
プレミアリーグやセリエ、リーガなどの有力チームなどは各国のナショナルチーム代表選手でさえサブであったり、ベンチ入りさえしていない。もったいないと思うが、プロスポーツのチーム事情とはそんなもので、厳しいという事だ。

アメリカでは、いまNFLが最終局面で、1月中にディビジョンのチャンピオンが決まり、2月6日の第46回スーパーボウルにスポーツファンの注目は集まっている。
メジャーリーグは、キャンプ前のお休み時期だが、戦力補強の移籍市場は忙しい。昨年は、日本選手の活躍がイマイチだった。投手も野手も怪我も多かった。あの天才イチローも残念な結果だったが、今シーズンは、必ず復活してくれると思う。(イチローファンとしては、アメリカでのイチローの評価が低すぎると思っている。あれだけの成績を残しているのだから、もっと英雄視されていい。昨シーズンは、さすがのイチローもちっと疲れたのだ。)
昨シーズンの結果が良くない。それだけに、どうも日本選手の評価が低い。
移籍をうわさされた松井もどうなるか。新たにメジャー移籍を試みている各選手もことのほか評価が低い。
西武の中島は破談になった。ベースボールクラッシックで活躍した川崎は、マリナーズオンリーの志望だったとはいえマイナーからのスタートだ。あのダルビッシュでさえすんなりと決まらない。(これはダルビッシュの実力評価というより、マネーゲームの匂いがするが。)
おそらく、日本選手の評価が下がった事もさることながら、各球団の経営的判断や財布事情もあると思われる。まずは、各チームは、移籍市場では絶対的に必要なコマを確保し、そのつぎはその他の弱点を財布と相談しながら、補えるコマを手に入れる。
新たにチレンジする日本選手は中途半端な存在なのかもしれない。補てんするコマとしてはコストが高く、しかも実力が未知数である。それならアメリカの若いマイナー選手や中米系の伸び盛りの選手を取ってほうがコストパーフォマンスがいいということであろうか。

それが、スター選手さえサブに置いておくセリエやプレミアサッカーチームとは大きく違う。チームの経済事情がそうさせるのかもしれない。

メジャーリーグの野球は大したことはないとおっしゃる野球評論家の方もいるが、客観的に見てメジャーリーグは世界のベースボールの頂点に立つ。それが証拠に、日本のトップ選手がすぐに4番打者や先発エースになっていないし、チームの主軸になっていない(イチロー以外に)。
高いレベルだからこそ日本で実績を積んだ選手がメジャーに挑戦していく。
一時、メジャー挑戦の選手が増えて、日本のプロ野球が衰退すると危惧した専門家もいたが、それは杞憂である。

事情は違うが、今や40名程の日本代表の主軸や若手注目選手をヨーロッパのトップリーグに送り出したJリーグが衰退したかというと全然そうなっていない。日本のプロ野球はプロスポーツとしてはJリーグよりはるかに先輩で、多少選手が流出しても揺るがないはずである。特に、最近のように地方のチームが台頭すれば、全体で盛り上がっていく。

ポスティングなど余計なコストがかかる仕組みを廃止し、もっとメジャーと選手交流をしやすくしたほうがいい。
それによってメジャーのいいところをさらに吸収したり、また日本野球の優れたところを輸出すべく、日本選手にメジャーで活躍してもらったほうが更に活性化する。貿易の自由化交渉のように、自分達のデメリットばかり見て内向きになるのではなく、もっと攻撃的に自分達の強さを押していくべきだ。日本野球にはそれが充分できるほどの力がある。内向きになれば、逆にの日本のプロ野球は、メジャーリーグの傘下に置かれるようになってしまうだろう。

空いているスキー場

番所が原スキー場  
最近リニューアルオープン 上田市武石番所が原スキー場


スノーボードを始めた10数年前、スキー場の異変に気付いた。リフトを待たなくていい、ゲレンデが空いているのである。
今から30年程前、スキーはウィンタースポーツの王様だった。スポーツといえば、夏はテニスで、冬はスキーが定番だった。サーフィンも流行ったが、スキーの比ではなかった。20代の学生、サラリーマン&OLは、こぞってスキー場に向かった。スキーリゾートは、出会いの場、さながら合コン会場だった。寒さなど感じない、ホットなスポットだった。
男はモテるために、昼はスキー技術の向上にいそしみ、夜はスキー場近隣のロッジ、ディスコ、居酒屋でナンパに忙しかった。

そんなスキー場の盛況のピークは、バブル経済のピークとシンクロした。バブルを象徴するがごとく大規模スキーリゾートが相次いでオープンし、その豪華さや便利さで競い合った。冬の毎週末や連休は、新宿駅西口や後楽園周辺が、スキーツアーバスで埋まり、ツア―参加の若者で人気バンドのコンサート会場並みに混雑していた。

今では考えられない事態も起こった。開通して間もない関越自動車道が、大渋滞を起こした。練馬の高速入口からノロノロ運転が始まり、それは高速道路内にとどまらず、スキー場につながる一般道から、スキー場の駐車場の入口まで続いた。
スキー場にはユーミンの歌が流れ、ホイチョイプロダクション、プロデュースの映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットした。
スキーのニューモデルはトップモデルから売れた。人気モデルは、スキーシーズンのはるか前、8月中に既に売り切れた。
人気スキー場の苗場、白馬八方、斑尾高原などでは、営業時間前からリフト前に長蛇の列ができていた。白馬のロープウエイでは、1時間、2時間待ちはあたりまえだった。

こんな、加熱し過ぎた状況に嫌気がさして、自分は次第にスキー場から足が遠のいていった。その後、全く行かなくなった。

そして、スノーボードを始めた10数年前、久しぶりにスキー場へ行った。そして、その変貌ぶりに遭遇した。
あれ程いた、ゲレンデを埋め尽くしていたスキーヤーがいないのである。当然リフトも待たなくていい。

その時期は、スキー場の閉鎖、運営会社の倒産、身売りなどの暗い話をよく耳にした。スキーも、スキーブーツも、スキーウエアも売れなくなっていた。スキーリフトの稼働率も、スキー関連商品の売り上げもピークの半分以下になった。場合によっては3分の1になった。

しかしスキー場が手をこまねいて、何もしなかった訳ではない。様々な工夫や経営努力を行ってきた。
スキーにかわり、スノーボードの人気に希望を託した。しかし、失ったビジネスは、スノーボードでは埋めきれなかった。(スノーボーダ―は基本的に、かつてのスキーヤーのようにお金を使わないのである。)
ウィンタービジネスに見切りをつけて、夏のリゾート地として、スポーツのキャンプ地として、プロモ―ションするスキー場も増えてきた。

今のスキー場は、以前と比べればはるかに、アメニティーやサービスも向上している。トイレや休憩所は清潔になった。託児所やキッズパークも完備している。まずい、高いが当たり前だったスキー場のレストランの食事も相当改善された。トン汁、カレー、ラーメンだけだったメニューも豊富になり、美味しい地元ならではのメニュ―も提供されるようになった。
しかし、スキー場は空いている。お正月三が日でもゆったりと滑れる。

最近、地元上田市にあるマイナーなスキー場がリニューアルオープンした。リフト2基の小さなスキー場だ。
真新しいスキーリフトが設置された。それなりの勝算があっての投資であろうか。大丈夫だろろうか。

しかし、考え方によっては、小さいから活かせるメリットもある。子供達のスクールやイベントにはうってつけである。団体貸し切りも可能だ。地域との連携もたやすい。

オーストリア―ハンガリー帝国のレルヒ少佐がスキ―を初めて日本に紹介してから100年たった今、派手なブームを経て、落ち着いてウィンタースポーツ、レジャーとしてスノースポーツを楽しめる時期に来たのかも知れない。
30年前のスキーブームは過度な盛り上りだったかもしれない。スキーは、バブル経済とリンクし、最もその影響を受けたスポーツではないか。
だからこそ、これからは純粋に雪を楽しむスポーツとして楽しむ形へとかわっていくのだと思う。

スノーシューのすすめ

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スノーシューって知ってますか?
アウトドア好きの間では、当たり前の冬のアイテムになってきたが、まだまだ一般的に認知度は低い。
自分たちが知ったのは、20年あまり前。アメリカのアウトドア関連の展示会だった。当初は、それほどエキサイティングな新しいアウトドアスポーツやイクイップメントには見えなかった。

しかし、実際使用し体験してみると実に楽しい冬のアウトドアアクティビィティーであることが解った。装着が簡単で、雪の上をそれほど足を取られずに歩くことが可能なのだ。雪の上を、特に深い新雪を歩いたことのある人なら身に染みて感じていると思うが、雪の中を歩いて進むことがどれほど大変なことか。5m進むだけでも大変な思いをする。足が膝より深く、ふとももの付け根まで埋まってしまうと身動きがとれないほどだ。
ところがスノーシューを履けば埋まる度合いがかなり軽減され、一歩一歩踏み出していける。日本には古来よりかんじきという雪上歩行のアイテムがあるが、スノーシューはそれをさらに進化させたようなものだ。

スノーシューの楽しさは、簡単に雪上トレッキング楽しめる事。雪のない時期とは全く違ったルートでトレッキングが楽しめる。夏には、木々や灌木、ブッシュの生い茂った場所がフリーなトレイルになる。
また、夏とは全く違った思いもかけない眺望にめぐりあえることもある。
以前、東京で珍しく15㎝あまりの雪が降った時に代々木公園でスノーシューを楽しんだことがあった。誰もいない静かな公園は、別世界のようだった。


別の観点からのスノーシューは、冬のエクササイズとしてもおすすめな事だ。それは、スノーシューが素晴らしいエクササイズあるという事だ。スノーシューで雪面を歩く場合、普通のウォーキングより一歩一歩しっかりと踏み出して歩く。また、不安定な雪面を歩くので小さな筋肉やインナーマッスルを総動員する。
上りでは、さらに負荷も高くなり、ジムの階段マシン(ステアマスター)より効果が高い。大臀筋、大腿筋の表、裏をかなり使う。また、ポールを使用する場合は、雪面を押したり、バランスをとったりするので、ノルディックウォーキングのように上半身や上腕も使う。ほんの少し歩いただけでもかなり汗をかく。詳しくは、解らないが、体感からするとランニン程のエクササイズ強度がある。さらにエクササイズ強度を高めたければ、アップダウンを利用してスノーシューランニングをすれば良い。これは、かなりのエクササイズだ。

現在スノーシューは、目的に応じてタイプの違うスノーシューやレディス、キッズ用のスノーシューも販売されている。

スノーシューは、冬のアウトドアスポーツだ。当然、気候や雪の状態により危険を伴う場合もある。山のルートをゆく場合は、必ずそのルートを知った人や、ガイドさんに同行してもらうべきである。
自分の場合は、天候が悪い場合、特に雪がかなり降っている場合や、ガスっている場合は行かないことにしている。
簡単に楽しめる、だからこそ、その点は注意している。
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愛用している、MSRのスノーシュー。プラスティックのハードソールで登攀やトラバースする場合に安定する。

沢選手 おめでとう

沢選手、バロンドール受賞おめでとう。
受賞の和服姿が美しかった。

2011年は、試練の年だった。
未曾有の天変地異に際して、感じたのは、我々が必要に必要なのは、人間力でありバランス力であると感じた。
人間力とは、サバイバルできる力、それは体力、知力、想像力であり意志力である。常にそういった資質を磨くことで、未来が開けてくると改めて知らされた。

それとバランス力、様々な情報を、良くも悪くも入手し、判断する力、偏らない考えを持ち意志を貫く力、周囲の状況を把握し、的確に判断する力であるが、それも生き抜くために高めなければならない資質だと思う。

スポーツ界でも、バランス力が試された年であったと思う。そんななかで、比類なきバランス力を発揮したのは、サッカーの沢穂希選手とフィギアスケートの浅田真央選手ではなかったかと思う。

沢選手の今年の活躍は誰もが認める、言うまでもない事だが、彼女のバランス力は特筆すべきものがあった。
試合にあっては、冷静でありながらチームメイトを鼓舞するパッション。テクニックでチームを引っ張る場面があれば、泥臭いプレーでチームに貢献するケースもある。局面で負けないフィジカルもあきらめないスタミナも併せ持つ。
女性らしさ優しい面を見せつつ、アスリートとしての強い意志力も感じさせる。
生き方、プレースタイルとも類まれなバランス力を感じさせる。それは、与えられた天賦の才でだけではなく、絶え間ない努力の結果である。

浅田選手は、オリンピック後不調に陥った。あの時の輝きはどこへ行ってしまったのか、と誰もが思った。
しかし今年最後に復活した。最愛の母を失った困難な状況のなかでも、見事なパフォーマンスを見せてくれた。
演技内容も不調とあれば臨機応変に変え、バランス良く仕上げてくる。もちろんコーチの手腕もあるが、コーチのディレクションを自分の中で咀嚼し、活かしていく。
メンタルなバランスとフィジカルのバランス、困難な局面での自分をコントロールできる能力。浅田選手は、バランス力を向上させたことでさらにレベルアップしたように思う。

両選手は、今年も大活躍してくれると思う。
頂点に立ちながらも培ったバランス力の才を発揮し、プレッシャーを踏み台としてさらに羽ばたいていってくれると信じている。

ギャルといわれるかわいそうな人々

オヤジといわれる年齢になると、兎に角許せないと感じる事が多くなって、すこしでも酒が入ると「ふざけるな」と叫んでしまいたい気分にさらされる。2012年になって決めたはず。まずは受け入れて理解しようと努力する、そして判断しよう。真に強い人間こそ受け入れる優しさがある。それを信じていたはず。

テレビが面白くない。そう思って、事務所は地デジ対応はやめた。事務所に居る時は、ラジオとネットだ。
ラジオは、耳からだけ情報が入ってくる。それだけに、想像が膨らみ楽しい気分にもなる。

ふだんは、だいたい同じステーションを流しっぱなしにしている。多少、番組内容やパーソナリティーによっての好き嫌いもあるが、それも聞き流しだからと余り気にしない。

しかし、昨夜はすこし違った。いつものステーションで、「ギャル」特集をやるという。いやな予感がしたが、世相に関心がないわけではない。そういう知りえない範疇の人々を知るのもたまにはと思い、そのまま流し続けた。結果として、聞いていられなくなりステーションを変えた。

ギャルは、やはり理解できない範疇の人間、それだけは解った。彼女らは自分達中心で世の中が回っていると思っている幸せな人々だ。若いうちにそう思え、行動しているメンタリティーに驚きと、違和感を感じた。

若い時期、思春期から青春期にかけて、人間は大人社会に失望し、反抗し、理解されないもどかしさを自らのパワー変えて、新しいものを生みだした。それはファッションであり、音楽であり、アートであったり、ラディカルな政治活動であったりした。
しかしながら多くは、理不尽と思えるかもしれない大人社会やエスタブリィシュメントの中に取り込まれてしまう。それでも、そのなかでとりわけパワフルなものは、その時点では反社会的と烙印を押されても、生き残り、やがてメインストリームになっていく。音楽でいえばロックでありフォークであり、ヒップホップである。
それらはすべて反抗から生まれた。

ラジオの番組のなかで、彼女たちは自分達がいかにトレンドを生みだしているかという事を自慢げに語る。そこには、反逆も反抗もなく、一見器用そうにみえる迎合しかない。

また、ギャルが最近頭に来た事と聞かれて、「タクシ―の運転手の態度に頭にきた」という。「横柄な言葉づかいで、我慢ならなかった」と言う。あんまり頭に来たので「貴方のタクシ―会社にクレームを入れる」と言ったら、運転手さんが急にあやまったという。それにギャルが憤慨したという。
詳しい状況は、解らない。しかし、自分は明らかにタクシ―の運転手さんに同情する。申し訳ないが、彼女たちの発言や言動を断片的にでも聞いていれば、不愉快になる。もし自分がタクシーの運転手さんだったら、やっぱりこういう人種は乗せたくない。

彼女達に欠けているのは、基本的なコミュニケーション能力不足と幼稚性だと感じた。ギャルはもともとGirlからきているのだろうが、やはり大人になれない人々だ。もしかしたら大人になる進化の過程の人々かもしれない。それならばいいが。
この社会、自分達だけで生きているわけではない。自分達の考えやテイストだけで生きていけるのではない。
そのジレンマの中で、若者は苦悩し、新しいものを生みだし、そして社会との軋轢のなかで大人になっていく。

彼女たちは、30歳になっても40歳になってもギャルでいるという。やめて欲しい。もし、彼女たちの、今生きている姿そのままなら。今のままなら彼女たちに人間を理解し、愛する事ができないから。

しかし、彼女達も生きて、同じ空気を吸っている。同じ人間として理解し受け入れて行かねばならない。
それが今求められる事だから。

スノーモンキー 地獄谷

地獄谷サル1
長野県山ノ内町地獄谷温泉の野猿公苑。ニホンザルが温泉に入る事で有名な場所だ。
家内のアメリカの家族や、在東京の外国人から、「長野へ引越したの?Snow Monkeyは、
見た?」とよく聞かれるそうだ。一回は見てみたいというので、行ってみたというわけだ。

Snow MonkeyJigokudaniは、実際、外国人の間では有名な観光スポットらしい。
昨年こそ東日本大震災、原発事故の影響で減ったが、一昨年には、実に多くの外国人観光客が来訪した。

長野オリンピックも外国人が訪れるひとつのきっかけになった。
アメリカの3大ネットワークの一つ、NBCが、長野オリンピック開催時に、この地獄谷の、雪の降る中、温泉でくつろぐニホンザルを大々的に紹介した。(アメリカでは、オリンピックはNBCが独占中継している。)
オリンピック放映の番組タイトルバックにもこの温泉のサル達のシーンを使っていた。
動物好きのアメリカ人にはかなりうけたのだ。

地獄谷温泉、野猿公苑へは、上信越自動車道、信州中野インターから志賀中野有料道路を志賀高原方面へ向かう。信州中野の市街を過ごして、さらに志賀高原方面へ。しばらくすると路面に雪が残る登り坂にさしかかる。沓野渋インターで降りて、地獄谷温泉方面へ車をすすめる。野猿公苑のサインを確認しながら、それに沿って雪道をゆっくりと進む。車道のつきあたりに駐車場がある。かなり満杯だが、ラッキーな事に一台分が空いていた。

これから先は、横湯川に沿って雪道の林道を約30分、2キロ弱を野猿公苑まで歩く。
途中、アメリカ、オーストラリア、ユーロ系、中国系らしい人々とすれ違う。もちろん日本の観光客とも。噂には聞いていたが、確かに外国人の比率が高い。家内が、「おサルさんはいましたか?」と外国人観光客に聞く。「Oh, Yes」の答え。というのも、時間があわないと、サルがいない時もあるらしいので、ひとまず安心。

地獄谷温泉が見えてくる。温泉水が勢いよく噴き出している源泉口が眼下に見える。
少し急いだので、約20分で野猿公苑の入口の案内所(料金所)に着く。入場料¥500を払い、階段を下りていく。料金所の対岸にサルの温泉はある。
近づいていくと、毛皮をはおったようなたっぷりと体毛をはやしたサルが通路の目の前で雪をほじくり返して、一心に何かを探している。餌を探しているのか。

目的地のサルの露天風呂の周りには、すでに多くのホビーカメラマンや観光客がカメラを構えて撮影に夢中になっている。
驚くのは、目の前でカメラを構えて撮影しても、サルたちは平然と、ゆったりと温泉浴を楽しんでいることだ。
慣れているというか、人間に構わず自分達のライフをエンジョイしている。ボスらしき体格のいいサルもいれば、赤ちゃんを抱きながら面倒をみる母ザルもいれば、野天風呂の周りを元気よく走りまわる子供ザルもいる。
我々人間の生活を垣間見ているようだ。

野天風呂の脇に、管理されている方がいらした。いろいろお話をうかがってみた。
「ここには約160頭のサルがいる。最年長は24歳(人間でいうと70~80歳くらい)。
餌は朝9時、昼の12時、午後3時の3回、麦を与えている。夕方以降は山のねぐらに帰る。」
とのこと。

餌付けをしているため、人間には興味ないらしい。観光客の餌やりはもちろん厳禁なので、サルは人間が餌を持ってないと言う事を経験的に知っているので、寄ってくる事や威嚇することもない。サルは、賢いのでそこらへんは理解し、人間をこわがったり、威嚇するような行動はしない。彼らにとって観光客は、都会の電車の赤の他人なのだ。

サルも餌があれば、人に迷惑をかけずにサルライフをおくる。
一時、日光などで、サルが狼藉を働き、観光客を襲ったりお土産屋さんの商品を奪ったりしたが、それは安易に観光客が餌を与えた事が大きな原因だ。やっぱり人間側にその原因がある。
野生動物を可愛いと思いながら、共存していくためには、人間側の行為に制限を加えて、ルールを守る必要があると切に感じた。
地獄谷サル3

新春の駅伝

新春の2大駅伝イベントは、終わってみると本命といわれる優勝候補が圧勝した。
とくに箱根駅伝の東洋大は、完勝だった。往路の2区でトップに立った時点で、5区にスーパー学生ランナーの柏原選手が控えているだけに相当なアクシデントがない限り、往路優勝は堅いと思われた。その柏原選手だが、期待どおりというか、それをバネにしたかのような走りで、往路優勝ですべてを決めてしまったような走りっぷりだった。
往路優勝時点でのタイム差と東洋大の勢いは、他大学に総合優勝をあきらめさせるに充分だった。

ニューイヤー駅伝と箱根駅伝だが、やはり人気の点では、実業団より学生に分がある。
それは、それぞれの駅伝の歴史の差もあるが、駅伝競技の持つ性格と、チームへの親しみやすさにあるのではないか。
走りそのものは、実業団ランナーのほうが、はるかにレベルが高く安定している。見た目にもスピードが違う。
ただ、駅伝の興味は、個々のランナーの走りだけではなく、チームとしてどう戦っていくかにもあり、作戦も、選手の走りも当然違ってくる。駅伝が、マラソンやロードレースとは違ったランニング競技といわれるゆえんである。

特に学生は、成長過程にあり、未知数の部分もあり、予想外の好走を見せる場合もあるし、逆に失速してしまい力を極端に発揮できない事もままある。そんな何が起きるかわからない学生駅伝に見る側は興味をかきたてられる。

実業団の選手は、学生と比べ成熟しており実力も安定している、それだけに「何かが起きる」という可能性が低い。また、大学名の方が、認知度も高く馴染みやすく、見る側も感情移入しやすい。加えて、実業団はチームとしてより選手が個々人の選手として活躍する姿がクローズアップされるケースも多い。
そんなわけで、学生駅伝の方が実力で上回る実業団より人気があるのは、仕方がないかもしれない。

今年も、鮮やかな走りを見せた、東洋大の柏原選手は見事だった。走り終わった後のインタビューにも人間的に成長した若者らしさにあふれていた。今後は実業団チームに入り、さらに上を目指すという事だが、怪我をせずに立派なアスリートに成長してほしいと切に願う。
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