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日本人サッカー選手の活躍

ネットでニュースをなんとなくチェックしていると、「マンU、香川に興味」「香川、来季マンUに移籍か?」などのニュースが目に飛び込んできた。マンUとは御存知、プレミアリーグの超名門クラブ、マンチェスターユナイテッドであり、世界のトッププロクラブである。

我々オ―ルドサッカーファンというか(シニア草サッカープレイヤー)にすれば、マンUというクラブは、かつてサッカーの神様の使徒、ボビー・チャールトンやジョージ・ベスト等が活躍した、サッカーの雲上人の世界だった。
当時のサッカー小僧たちは、東京12チャンネルで放映していた「ワールドサッカー」(金子アナウンサー&岡野俊一さん解説の唯一海外サッカーのゲームを紹介した番組)を食い入るように見入っていたものだったが、時折マンUの試合も放映されていた。
その雲上人の世界に、日本人選手が入団するのである。しかも、実にさりげなく当たり前のように移籍していくように報道されている。昔のサッカーを知っている者からすれば、もの凄い事なのである。

日本人のプロサッカー選手の第一号は、1977年にドイツ、ブンデンスリーガのIFCケルンに入団した、奥寺康彦選手である。「日本の選手がヨーロッパのトップリーグのプロになる」世間的にはそれほど騒がれなかったが、サッカー小僧たちの間ではセンセーショナルな出来事だった。
その後、1983年に尾崎加寿夫選手がビーレフェルトと、1984年には風間八宏選手がレバークーゼンとプロ契約を結んだ。一方、キングカズこと三浦和良選手は、1982年にブラジルに渡り、1986年にサントスFCとプロ契約を結んだ。
これが日本サッカー史におけるプロ選手の創世期である。それ以前でも、東京オリンピックやメキシコオリンピックで目覚ましい活躍をした釜本邦茂選手や杉山隆一選手がプロチームから誘いを受けていたという報道がされたことがあったが、プロサッカー選手誕生には至らなかった。

その後、1998年に中田英寿選手がセリエAのペルージャに移籍し、活躍してからは、日本にJリーグといプロリーグが存在している事もあって次第に多くの日本人選手が、プロサッカーの本場であるヨーロッパへチャレンジするようになってきた。
現在、世界各国には多くのプロおよびセミプロのサッカーリーグが存在するが、いまや世界中のリーグで日本人選手が活躍している。サッカーというスポーツがそれだけワールドワイドなスポーツである事もあるが、日本人選手が世界の様々な地域で活躍している事は、日本のサッカーレベルが確実にレベルアップしている事の証左でもある。
サッカーの世界は産業構造と同様、最もグローバライゼ―ションが進んでいる。プロ選手の流動は、まさに国境がない。そのなかで活躍する事は、ある面大変な事である。ワールドレベルの対応力、どこでも自分のサッカーができる、選手としての能力を発揮する逞しさ、技術、体力、精神力、対応力、語学習得力などが求められる。

しかし、今の選手を見ていると結構事もなげに世界に対応しているように見られる。それだけ日本国内で、基礎レベルを積み上げられるようになってきたのかもしれない。
最近、ブンデンスリーガでは、日本人選手が再評価されているように聞く。それは、香川、長谷部、内田選手などの活躍によるものだろうが、確かな技術、素早い動き、チームに献身的な態度とメンタリティー等等、日本人選手の特徴が高く評価されているようだ。
かつては、技術はあるが、フィジカルが弱いという事を指摘され、日本人は通用しないと言われてきた。しかし最近はそんなネガティブな点を指摘される事もなくなってきた。サッカーは単に頑強な肉体者だけのスポーツではない。技術、フィジカル、戦術眼、センス、メンタリィティーなど、様々な能力が高いレベル備わった者がプロとして活躍できるのである。

日本人が、世界を知ることにより基礎レベルを上げ、さらに世界にチャレンジするにより、逆に日本人の弱点を補い、それ以上に日本人の特徴を生かす事ができるようになったようだ。それが、いま飛躍しつつるある日本のサッカー選手の姿ではないかと思う。
雲上人の世界であったヨーロッパのプロサッカー界で当たり前のように日本人選手が活躍する。昔日の感がある。
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迫力を感じた80年代ランナー像

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びわ湖毎日マラソンが終わって、いよいよロンドンオリンピック男子マラソン代表が決まる。今回も、3人すんなりと決まりそうもない。東京マラソンで快走した藤原選手や、びわ湖マラソンで結果を出した山本選手は、代表入りが確実視されているが、第3の男が微妙だ。
堀端、川内、中本、前田選手が候補だが、難しい選択だ。個人的には、川内選手がダークホースとしていいレースをするのではないかと思う。

しかし、厳しいようだが最近の日本のトップランナーには、昔の選手のような迫力がないし、存在感がない。
昔の事を例に挙げたり、昔のアスリートを引き合いに出すのは年配者の常だが、80年代に君臨したマラソンキング瀬古利彦選手や闘将中山竹通選手などは、今から思えば圧倒的な迫力があった。
瀬古選手は、トップグループにピッタリ位置し、精密機械のように動じないふてぶてしい走りをみせていた。終盤までトップにぴたりとつけ、最後は中距離選手として培ったスピードと剃刀のような切れ味あるラストスパートでライバルを振り切るという常勝パターンを誇っていた。
一方、中山選手は、俺がチャンピオンだといわんばかりに、最初からぐいぐいひっぱり中盤から既にライバルを寄せ付けない王者の存在感があった。とくに1987年の福岡国際マラソンの走りは圧巻だった。最初から最後までライバルの背中を見ることなく、終盤まで世界最高記録を更新する走りを見せ、堂々優勝を飾った。
今だったら、ペースメーカーを逆に引っ張ってしまうかもしれない程の迫力のある走りを見せてくれた。

この二人の不世出のランナーは、対照的なイメージを醸し出していた。
エリートランナーにして、マラソン界の帝王的存在の瀬古と、非エリートの一匹オオカミ、闘将的な中山。これが見る者たちの興奮をあおったものだった。同時期には他にも宗兄弟や谷口などトップ選手がいたが、瀬古選手や中山選手を含め当時の選手達は、個々人のパワーや存在感に並々ならぬものがあった。

これらの選手は、単に昔の、その当時に速かった選手ではない。
瀬古選手や中山選手などは、サブ10(2時間10分以内)を5回も達成しており、自己最高もそれぞれ2時間8分27秒、2時間8分18秒と今の代表選手と比べても決して引けを取らない記録を残している。それだけ迫力のあるランナーだったといえよう。
(ただし、両選手ともオリンピックのメダルには縁がなかった。両選手ともピーク時には誰もが認める世界最強選手だったのに、運がなかったと言わざるをえない。)

トップランナーの自立

今年の東京マラソンは、藤原新選手の快走で幕を閉じた。皇帝、ゲブラセラシエにはかつてのような凄みのある走りはなかった。残念ながら市民ランナーの星、川内選手にはいつもの粘りの走りは見られなかったが、きっと彼は復活してくるだろう。

最近の長距離エリートランナーの、キャリアコースは、おおむね駅伝の強豪高校を出て、箱根駅伝出場の大学駅伝部もしくは長距離チームを経て、実業団チームに所属というパターンだ。しかし、藤原、川内両選手のように実業団チームや何処にも所属しない選手が活躍するのは皮肉であるが、一つの傾向かもしれない。

よく言われるのは、実業団チームにあっては、数々の駅伝レース出場が義務づけられ、マラソンだけのトレーニングや調整ができないということだ。
日本では、駅伝が盛んに行われる。それにより、駅伝がスポーツとして進化している。そのため、考えられるのは駅伝が同じ長距離走スポーツとして、マラソンとは違った性格を持ってきているのではないかということ。
駅伝は、距離にしてはだいたいハーフマラソン以下。長距離ランナーからすれば一気に走り切れる距離でもある。そのためにマラソンとは違ったトレーニング法になる。だから実業団の選手は、マラソン一本に注力できないという推測である。たしかに、駅伝がマラソンとは似て非なるスポーツになっていくという可能性はある。サッカーとフットサルがそうであるように。
しかし、それでは日本の大学駅伝チームや実業団チームを経て、世界に羽立って行ったケニアの選手はどうだったのか。彼らは、日本人選手と同じ練習をこなし経験を積み、何人かの選手は世界一になった。これを説明することはできない。

彼らにあって、日本の実業団選手に欠けているもの。それは自分で戦い抜くという気持ちではないだろうか。彼らは、チームに所属していても、やはり個人として強くなりたいという意識が強いのだろう。その点は、藤原選手、川内選手に共通するマインドかもしれない。
厳しい言い方だが、そういったマインドが日本の実業団選手に欠けているのではないか。藤原選手や川内選手には、瀬戸際感がある。このレースで勝てなければ、結果を残さなければチャンスはない。その瀬戸際感、勝負へのこだわりが実業団所属の選手にあるのだろうか。

個人として自立し、レベルアップを図る。そういったトレーニング環境やマインドを選手に培っていかなければ、実業団チームは単なるぬるま湯集団と化して、世界基準の選手は育たない。企業が、マラソン、駅伝ブームに便乗し、ランニングチームをつくりプロモーションに利用しているだけとしたら。そうでないことを望む。

ジュニアスポーツ教育に思う

男子テニス、錦織選手の快進撃に胸のすく思いだ。
今日勝てば、全豪ベスト4。日本人初の快挙だ。(残念ながらベスト4ならずだった。)
錦織選手が注目を集め始めて数年になる。一時期怪我などで低迷したが、ここにきて更に飛躍した。
11月のスイスインドアで世界ランク1位のジョコビッチ選手を破り、ランキングを日本人として過去最高の26位まで昇って来た。全豪オープンでも、厳しい試合をモノにし、成長した姿を見せてくれた。

報道によると、最近は戦い方を変えているという。単純に攻めに出るのではなく、守りからしぶとく耐えて機を見て攻めに転ずる。泥臭くさくても耐えてポイントを奪うという「ウィニング アグリー」、格好悪くても
勝つという事をテーマに戦っているらしい。ここに錦織選手の成長のあとが明確に見られる。錦織選手は、今回の全豪の快進撃のみならず、今後さらに大きく羽ばたいてくれると確信する。

錦織選手に限らず、最近はジュニアから注目され、それからレベルアップし、若くしてトップクラスに登りつめるアスリートが増えてきた。特定の競技に限らず、多く競技で、その傾向がみられる。
今や、トップアスリートになるためには、小学校低学年でその競技を始め、ジュニア(ローティーン)時代にその世代のトップレベルに達し、その後は、心身の成長と歩を一にしてテクニックと戦術眼とフィットネスレベルを磨き上げ、シニアのトップレベルに達するというのが通常の道筋になってきた。

競技や地域によりいろいろなスタイルや形態があるが、子供、ジュニアからカリキュラムが組まれたプログラムでスポーツ選手を養成していくスクールやクラブが以前と比べ整ってきたことや、若い世代をコーチングできる指導者が増えてきたことがその要因だ。また、スポーツに教育的投資する親が増えたこともある。

スポーツを子供のころから親しむのは賛成だ。同世代の子供たちと、競い合い、励ましあい、人間として相互関係や営みを学ぶのは大切で有効な機会だ。
しかし、年齢が上がり競技志向が高まるにつれ、優劣、勝敗が大きなファクターとなってくる。勝つことの喜びと負ける事の悔しさ。それに伴う期待と夢と苦悩と挫折。それらを体感しながら若いアスリートは成長していく。

勝者がいれば敗者もいる。頑張っただけの喜びがあり、悲しみもある。成功と挫折、邁進や転進。これらが交錯するのがスポーツの世界だ。
それだけに、勝っても負けても、上手く行っても失敗しても、多感な子供達がそれを受け入れ、次に向かって行けるように、勝敗や優劣で全てが決まるのではなくそれが糧となるよう導いていくのが、指導者や親の大きな責務になってくる。スポーツでトップを目指すことで、テクニカルやフィジカルな面を育て上げるだけではなく、精神的にどう成長させていくかもスポーツ指導、教育に託された大きなミッションである。

トップアスリートの下には多くの普通のアスリートがいて、ヒエラルキーが形づくられている。彼らすべてが成長してこそ全体で大きく飛躍できるのである。錦織選手の下には、数倍、数十倍の若いアスリートたちがいる。ある面彼らが錦織選手を底上げしていくのである。

現在こういった子供達の育成は、まさにグラスルーツで、民間の力に任され、それにゆだねられてている。当然、各競技団体もそれなりに力を注ぎ、指導者を育て次世代に繋げる努力はしているが、まだまだ充分でないし、一競技団体では出来ない事も多い。
多くの子供達がスポーツを通して育っていくという教育的側面からしても国レベルで人材の育成や施設の充実などのソフト、ハードの面のサポートが出来ないものかと思う。

教育というとすぐに学校教育に目が向けられがちだが、子供達はこういったスポーツクラブやスクールなどでも教育され、学んでいく。国として規制を加えるとか、考え方を押しつけるのではなく、民間のパワーをさらに生みだすような新たなスポーツ教育への施策を切にのぞむ。

日本チャンピオン、福原選手

福原愛選手、把瑠都関 優勝おめでとう。
福原選手は卓球を始めて20年、把瑠都関は来日して8年、精進した結果だ。

最近は、それぞれの競技の技術レベルが上がった理由もあるが、ジュニアどころか就学前からそのスポーツを始めトップに上りつめたアスリートも多くなった。サッカー、野球、体操、スケート、スキー、卓球、などなど多くのスポーツでその傾向が強まっている。

福原選手は、その典型のようなアスリートだ。幼児のころから卓球一筋で、その姿はテレビなどでも紹介され続けてきた。卓球王国の中国での転戦を含めて日本人トップの世界ランキング入りなど世界で活躍してきたが、どういう訳か日本チャンピオンになっていなかった。国内では、注目されているだけにいい知れぬプレッシャーを感じていたのだろうか。日本一になって当たり前というような雰囲気が、足をひっぱったのか。
13年間どうしても取れなかったタイトルだけに喜びもひとしおだろう。五輪代表選手でありながら、国内タイトルがないというプレッシャーにめげず、心が折れずに競技生活を続けたタフさに「あっぱれ」と言いたい。
福原選手の優勝後のインタビューには、「愛ちゃん」ではなく、成長した大人のアスリートの姿があった。

よくあることだが、往々にしてジュニアから活躍した選手は、どうしても成長過程で精神的挫折や、大人への反抗、怪我などで競技生を離脱する、いわゆるバーンアウトしてしまうケースがある。
それは、決して悪い事でもない。成長過程で自分の可能性を他に見出す事もある。そのスポーツ、競技だけが自分自身のすべてではない。またそれを乗り越えて、さらに競技的に、人間的に飛躍することも素晴らしい事だ。

いずれにしろ、ジュニアアスリートがネキストレベルへ飛躍する、すなわちアスリートとしてさらに上のレベルへ向かう、または転身し他の分野で可能性を見出すためには、親やコーチなど大人の精神的サポートが必要だ。
自主性を重んじつつ厳しく指導する、そういったバランスよく気にかけてやるマインドが必要だ。

親やコーチの期待は、充分に理解できるが、それはプラスにもママイナスにもなる。難しい舵とりだが、そそぐ愛情には厳しさと大人へ進化過程にある可能性を秘めた個性への尊敬が求められる。
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